親不孝 

 4回目のチャレンジ。

 教員採用試験、今年も一次試験で落ちました。

 何だかよく解りません。

 本当に教員になりたいのかさえ解らなくなってきます。

 ここまでくると、

 お前に教員は向いてないよ

 そう言われているみたいです。

 悩む時間ではなく、

 考える時間が必要です。

 毎年この時期は、

 自暴自棄と言いますか、

 少し腐ります。

 陰ながら応援してくれてた皆様、

 どうもありがとうございました。

怯え 

 言葉が生まれてこなくなりました。

 と言うか、

 どこかでこの存在がバレ始めているようで・・・。

 だから、

 もういいやって思わなくもないってのが本音。

 どうなるんでしょう。


 「こんな生活カッコイイ」と我ながらに思った平日休みを満喫してみた木曜日。
 朝からバイクにまたがり、
 「今日は浅間温泉で朝風呂に浸かろう」という思いつきだけで行動。
 時間は朝の8時前。
 朝風呂やっているんだかやっていないんだかよく分からなくて・・・。
 こっちへ行ってみよう。
 あっちへ行ってみよう。
 トムソーヤに負けない冒険心に火がついて、この道を行ったらどこへ出てどんな景色があるんだろう、そんな気持ちに発展。
 山道を登り始めたら木々の間に差す木漏れ日が癒しの空間を与えてくれて。

 美鈴湖に出た。
 バイクを停めてボーッとして湖眺めていたら、魚は跳ぶしトンビが魚を直滑降ゲットするし、黙ってりゃ自然の音がいっぱい聞こえてくるしで、その場の自然を全部独り占めしているようだった。

 更に上を目指した。

 美ヶ原に出た。
 思い出の丘に登ってみた。
 ヘルメットを外した状態でバイクを走らせた。
 美ヶ原頂上へは行かなかったけど、何だかそれだけでも満足の域に達した。

 浅間温泉に帰り出た時は既にもう10時を回ってて。
 直感で「ここの温泉にしよう」と思った場所は‘枇杷乃湯’。
 直感は裏切らなかった。
 サイコーだった。
 平日の朝の時間だったから全て独り占め。
 贅沢だった。
 湯上りは畳の上で眠りこけてしまった。
 それくらい、日本を感じるような趣のある家屋だった。

 お腹減ったから帰りがてらにラーメン食べて帰った。

 別にお金を出して普段食べれないようなものを食べたわけじゃない。
 でも私は、こんな生活を‘贅沢’と表す。

 最近、燕岳という山にも登ってきた。
 沢山の深呼吸をした。
 目で見た景色をどう伝えたらいいか分からない。
 言葉にならない景色がそこにはあって、
 言葉のいらない世界がそこには広がってた。
 
 一直線に登ることのできない山道は、人生に似ている気がした。
 クネクネしてて、ウネウネしてて、
 登りやすい場所があったり登りにくい場所があったり。
 思い通りにならない道こそ、数々の出来事に出逢わせてくれる。
 その出来事に巡り合いたいと思うから、妥協はできないんだと思う。

 楽せずに生きて行こう。

 身体が動くうちは多少の無理をしよう。

 それができなくなったら、楽を求めていくかな。


 らしくもなく、ちょっと怯えているよ。

 でも、じゃあ何で綴ってんの?ってなるでしょ。

 それが分からない。

 ただ、どこかで解ってほしいって、私が思っているんだと思う。

 ただそれだけのような気がします。

弱い自分と向き合うこと。 

身体がおかしくなってきたのは薄々感じてた。
元気だよ!そう言うのも、何だか疲れた。

疲れたみたい。

月曜日から何も喉を通らなくて今日で三日目。かろうじて水分だけ摂って、それでも元気と言い張れる自分は、どこまで不器用なんだか。
嘘つくと、後で凄く哀しくなる。
でも、嘘は便利だ。嘘ばかりついてる私は、どんどん汚くなってく。

汚くなった私は医者へ行く。するとどうだろう。「もっと早くに来れなかったですか?」の一言が胸に突き刺さる。
丸一日医者に詰められる。4時間の点滴は苦痛ではない。これでまたみんなに会えるのであれば、耐えることができる。

でも、丸半日の警察署は耐えられなかった。4時間の事情聴取は苦痛だった。

ある日、噂が広まった。
沢山の人からメールがきた。
大丈夫か?って。
地域の人や卒業生、加齢臭や在校生。
風の噂が広まるのは早いもんだ。
私は大丈夫だし、何ともないからそんなに騒がないでくれませんか?
被害者は私じゃない。
騒ぐことで何になる?
本当の被害者がいるとして、誰よりも泣きたいのはその人なんだと思うから。

周りは、私を、どう見ているんだろう。

最近冷たくなったでしょう。
そういう態度をとってしまっているから仕方ない。
隠したいことが沢山できたからか。
いや、隠したいことと言うよりも、後ろめたいことが多くなったんだ。

初めて試みた携帯からの更新。新しくした携帯はまだ使い勝手は悪いけど、そうも悪くない。

今日は誰にも会いたくない。
また明日から頑張るか。
わがままに、私らしく。

君からのメールを無視してばっか。
あなたからの電話を居留守してばっか。
今だけだから、
今日だけだから、
優しく許しておくれ。

決して、嫌いになったわけじゃないから。

自惚れ。 

 「私だからできる。」
 「私なら変えられる。」
 
 自分の全てを肯定する気はないが、‘私だったら’という‘自分の考え’は持つようにしている。
 周りに流される時もある。
 だけど、‘自分’を持つことで、‘らしさ’が生まれてくるような気がする。
 でも、自分らしさってなかなか自分では気づけないもの。
 だから、周りの力がいるのだろう。

 今日、明日と採用試験。
 今のメンタルでいいのだろうか。
 不安になる。
 でも、かなり落ち着いていられる。

 そんな私でも、私を私が信じてやらないで、一体誰が信じてくれようか。
 だから私は信じてみたい。
 どんな君でも、
 どんなあなたでも、私は信じるよ。
 だってさ、
 信じることに理由はいらないと思うから。

 沢山の人に、すごい応援されている気がする。
 もちろん学校の先生たちにも。

 先月から見慣れた字の手紙がよく届く。
 文通。
 懐かしいけど失くしたくない連絡手段。
 お守りが入ってた。
 近くの神社で買ったからって。
 気休めにしかならない?いやいや、そんなことはない。
 美しい心とは、そういうことを言うのだろう。

 「試験はマークシートですか?これ使って下さい。私もこれで合格したから。」
 一家のある保護者が鉛筆を貸してくれた。
 そこまで気にかけてくれているんだと、嬉しくなった。

 お詫びしたい。
 ひらりんに言われた。
 「受験勉強をする中学生に負けないくらい勉強しているか」って。
 「深志を受験する奴らに勉強教えられるくらいやってみろ」と。
 ごめん、そこまではできなかった。
 言い訳なら沢山あるけど、言っても何にもならないからよしておく。

 ただ、何もやってないわけじゃないから。
 
 やるだけやってきます。

 今朝の天気は好きだ。
 朝日も鳥のチュンチュンも風も、気持ちがいい。

見たモノ感じたコトそのままで。 

 日曜日の雨は、どこか好きだった。
 朝早くから雨風を部屋いっぱいに取り込んで、普段閉めきった部屋の空気を一掃した。
 部屋いっぱいにかけた音楽の音は雨音で打ち消されるからと、いつもより大きめにボリュームを上げて、音のリズムに合わせて掃除機をかけた。

 久しぶりにできた休日。
 何をやっていたか?となれば、特に何をやったってのはない。
 ただいつものように早起きをしただけ。
 
 外に出たのは一回だけ。
 川が見たくなって、交通量の少ない朝の時間帯に気まぐれに車を走らせてみた。
 行き先はなく、目的は飽きるまで。
 増水した川を横目に、川沿いの道をただただ車で走るだけ。
 流れる水を追い越そうと、ただただ車を走らせるだけ。
 
 普段雨はキライな方。
 テンション下がるし気分もノッてこないしいいことないし。
 でもこの日は違ったな。
 雨だけを見ててもいいや、そんな気分だった。
 だから朝起きてからの行動も早かった。

 でも、何でだろうねぇ・・・。
 雨がひどく沁みるんだ。
 雨がひどく沁みるんです。
 何故なんでしょうか。

 ある先生からこんな話を聞いたことがあって、素敵だなって思った。
 ある雨の日。
 幼稚園に通う自分の息子さんが1時間もアパートの前で、しかも一人で過ごしていたんだと。
 スイミングスクールの帰りで、この日は自分が住むアパートではなくて、近隣に住むおじいちゃんの家に行くはずだったみたい。なかなか戻ってこない孫を探しに出たおじいちゃんが探しに出たところ、暗闇の中おじいちゃん家に向かって歩いてくる小さな男の子はお孫さんだった。
 連絡してあったみたいだけど、スイミングスクールの手違いでバスから降ろす場所を間違えたことによる迷子騒ぎ。
 先生が息子さんに「よく一人で怖くなかったね?」そう聞くと、息子さんは何て答えたと思う?
 「だって蜘蛛さんが一緒に遊んでくれてたから」だってさ。
 自分が住むアパートの前に一匹の蜘蛛がいて、ずっと遊んでくれてたんだって。
 アパートからおじいちゃん家に向かうことにしたのも、蜘蛛さんが家に帰るから僕も帰ろうって思ったんだと。
 まぁ、ただそれだけなんだけどね。


 大人は、子どもの何を見ているだろうか?

 何かを一生懸命に取り組んで、たとえそれが失敗したとしても、その子を怒ることはできない。
 朝陽の昇る瞬間や、夕陽の沈む一番キレイな瞬間が見たくて、息がきれるまで走ることは、決して恥ずかしいことだとは思わない。
 曲がりくねった道を突き進み、先の見えないゴールに近づきたくて、小さな達成感を味わいたくて、不細工な顔になりながらも走ることを止めない姿は、格好いいと思う。
 大人が忘れかけているモノを子どもが見つけて、たとえその子が迷子になったとしても、迷子になってしまったその子を叱ることはできない。
 空飛びたいなとか、雲の上で昼寝してみたいとか、そういうことを思う奴がバカなのか。思わない奴が哀れなのか。

 素直のままで、キレイなモノをキレイだと言いたい。
 そんな心を忘れずにいたい。持ち続けていたい。

 人目ばかりを気にして、お金では買えない一番上等のモノを見逃してしまうなんて、そっちの方がよっぽどバカなことだと私は思うよ。